仕事の鬼で庶民の味方、天才・花森安治

前書き 花森安治(はなもりやすじ)明治44年10月25日生まれ~昭和53年1月。花森さんは神戸の生まれで、貿易商を営む家庭で育ち、それまでお坊ちゃんだったのですが、8歳の時に父の事業が失敗したのでそこからは暮らしが一変してます。18歳の時に母が早世。亡くなる前に「将来どうするつもり?」と聞かれて「新聞記者か編集者になるんや」と答えたそうです。そして現在も続いている、暮しの手帖の創設者であります。はじめは『美しい暮しの手帖』という名前のスタートでした。記憶にある方には、NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』で唐沢寿明さんが演じた、強烈なインパクトのある花山伊佐次が、花岡安治です。文章で辛辣な記事を書いてみたり、鬼の編集長で恐れられ、それなのに絵を書けばメルヘンで、色使いも美しくて、破天荒。魅力溢れる人です。いつも庶民の目線で、暮らしをよくする為にペンで戦ってくれた正義の味方・花森安治さんに触れたいとおもいます。

見た目

失礼ながら、最初の見た目がおじさんなのか、おばさんなのかも分からずにおりました。着る服が個性的で、今の時代にとてもマッチした感覚すぎ!髪の長さもミディアム、パーマをかけたり、ロン毛の時もあったり。実際は風呂と散髪が大嫌いだったそうです。

ファッション

花森さんは、型に嵌めず柔軟なファッションセンスで、顔はバリバリ骨太男性顔でスカートを履いたり、(実際はキュロットや太めのパンツだった説もある)頭にスカーフを巻いてみたり。当時珍しいショートパンツを履いたり。人がどう思おうがはさておき、自分の着たいものを自分で生み出して着こなす達人です。『装うことで思想を表す』。もともとセンスや、アイデアマンだと思いますが、東京帝国大学で学んだ美の知識で衣服のデザインができたのです。西洋人のデザインを日本人がそのまま身に付けようとすると服に着られてしまうことを指摘したり、日本人の黒髪をスカーフで隠すと洋服が似合うからと、自分でやってみたり。『よりよいもの・より美しいものを求めて工夫することが”真のおしゃれ”』『お金があるかないかとかは関係ない』という言葉のとおりだと思います。花森さんの”直線裁ちの服”が最も今でも通用するのではないかと思います。今の時代に花森さんがいたら、突飛で若者に支持された気がします。

商品テスト

花森さんが編集長時代の『暮しの手帖』の中で、もっとも強烈な記事であります。まさに忖度なしのガチンコ記事。それも消費者のためでなく、生産者のためと。企業はもっともっと努力しなさいと。この商品テストは、編集部員が手作業で行う命懸けの大変なものだったそうです。各企業の石油ストーブだったり、洗濯機だったり。トースターに至っては食パン4万3千枚を使ったそう。実際の記事と写真を見たらギョッとします。最後このパンがどうなったかも気になりました(笑)商品テストによって、消費者の新商品を買う前の手段になったり、よい日本製品が増え、人々の暮らしも変わったと。花森さんがいたからというのは過言でないですね。強気で攻める姿勢に感銘しました。

鬼編集長だけど人情派

花森さんはとにかく職場では、威厳ありすぎな編集長で、失礼ながら顔も迫力あるのに。と私は思ってしまいますが。編集部員は原稿を提出すると、耳をそばだてて緊張するのだと。トントンと原稿の束を机に打ち付けたら書き直しのサインで、それを逃れても赤ペンで修正が入って戻ってくるそうです。現代の鬼赤ペン先生みたいです。どっちにしても肝が縮みますよね。一冊の暮しの手帖の中に涙ぐましい物語が詰まってます。今もそういうお仕事の方々は、あるあるなのかな。花森編集長は怒鳴りだすのも日常茶飯事で、そんな鬼編集長は理不尽に部下を怒鳴ってしまったら、しっかり後から寿司やラーメンをごちそうしてフォローしたそう。「結婚式は仏滅にやれ」と言ったのは、実は費用が安く済むからの配慮だったり。編集部員の家族に不幸があれば、「すぐに帰りなさい、現金がないと困るから」とまとまったお金を貸したり、臨月の編集部員に優しくしたり。どんなにおっかない編集長でも、人情深さがしっかり通じて、みんながついてきたのが分かります。

装丁の美しさ

思わず手に取りたくなるような絵や色彩。花森さんが手がけた本は『感じのいい本』をめざして、紙選びからレイアウト・全体のバランスにこだわって美しい装丁が施されています。本の内容を知ってこそ、哲学、エッセイ、小説など、そのイメージと合体した美しい装丁が施されたものばかりです。沢村貞子さんの本の装丁もあり、タイトルと雰囲気があっていて感動しました。私のブログもそうなっていきたいです。

デザイン

暮しの手帖に広告がないのは、本の最初から最後の隅々、活字ひとつまで心ゆくまでつくりあげたいという花森さんの思いから。ページをめくると情報がすぐ伝わってきたり、写真のインパクトがガツンときたり、ノンフィクション。素材が活き活きしてるのも、花森さんがこだわって作ったものだから。その反面、絵本のような夢のある絵を描いて誰もまねできない。服に至っても、デザインだけでない着心地のよさ、日本人に合う美しい形、難しくない庶民に寄り添う作り。妥協がないのに優しさがあふれてます。

好きなもの

小さくて精巧なものが好き。自分でプラモデルを作ったり、本物そっくりに色付けしたり。細かいものをいじっては、仕事脳と分けていたのではないかと思いました。エピソードの中に、仕事に行き詰った時や考えがまとまらない時には、みんなに黙ってひとり銀座の三越や、鉄道模型を売る店『天賞堂』(現在も銀座にあります)に出かけて、鉄道模型が本物そっくりに走っていたのを眺めていたそうです。リフレッシュになったんでしょうね。でも、まわりは原稿のことでやきもき待っていたと。映画好きでもあり、8ミリカメラを使って自分で映画を作ったりも。これは同じ銀座で『きむら』というお店に通っては新機種が出るたびに次々と試していたほどのようです。仕事でも取材や社員旅行の際に8ミリをフル活用していたカメラマン花森さん。好きな食べ物は、柔らかい食べ物が好み。豆大福・コーヒー(愛用カップは大振りの朱と金の大倉陶園のカップ)プレーンオムレツ。豪華なものでは、銀座なか田(現在閉店)のばらちらし、松茸入りのすき焼き(少年時代の誕生日に母が作ってくれた)、中華料理のエビの天ぷらの醤油炒めなど。エビの天ぷらの醤油炒めは、ネットにレシピありましたよ、ご参考までに。

最後まで編集者

ペンの力で守ろうとしたものは『暮らし』。戦争は最たる暴力。花森さん自身も、日中戦争に出征した時に軍曹に「貴様らの代わりは一銭五厘の葉書でいくらでも来る」(現在に言い換えたら【お前らの代わりは85円のハガキでいくらでも来る】)と怒鳴られたそうです。人を人と思わない国への反発心のなか、本位でない戦いに敵を虐げた忘れられない体験をしました。あまり語りたがらなかったみたいでした。その後も、東西冷戦朝鮮戦争、ベトナム戦争などなどがありました。令和の現在もロシア・ウクライナが戦争しており、シリア内戦も続いてます。花森さんの時代は、利益のみを追い求める金力、理不尽に行使される政治の権力が荒廃の原因だと。(要因は色々ある中で、なんか今も当てはまる部分ありますよね)庶民の暮らしを守るために花森さんはペンを持ち、戦争・公害・企業のエゴには物申し、物のない時代は工夫して生活を楽しく快適にする提案をしてくれました。現実に目を背けることなく直視し、ペンで戦ってきた。ただ、66歳というのは早いかな。遺作は『一銭五厘の旗』という思い入れのある原稿を、一冊の本にまとめたものです。これは『美しい暮しの手帖』から一緒に立ち上げてきた、相棒の大橋鎭子さんが花森さんの伝言を聞き、本にしたロングセラーとなります。今も心に刺さる内容です。

あとがき

花森さんと一緒にお仕事した方々は、怒られたりして怖かった時間もあったけど、学ぶ時間も楽しい時間も悲喜こもごもしながら、暮しの手帖を作っていたんだろうな~と感じたり、私も花森さんの描く美しい表紙や挿絵に引き込まれたり癒されたりもして、彼の描くものの世界が自分の家だったらとキュンと妄想したり。美意識や、人間力が高い魅力だらけの人物であります。今回、花森さんについてのみ触れたので、同士であるもうひとりの凄い人・大橋鎭子さん(ととねえちゃん)をスルーしてしまいましたが、この方もまたまた素敵なので、改めてご紹介したいとおもいます、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

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