前書き ここからは、映画女優・沢村貞子誕生になります!①~③までお読み頂いた方は前回までの内容のほぼ暗く苦しい道のりで、私自身も文章を打つのがとまりかけましたが。沢村貞子・ついに女優を志したばかりでアカという表現からまだ抜けれませんが、この下積みの先に名脇役や、献立日記などの執筆、女性としての考えや暮らし方、魅力あふれる沢村貞子(マダムていこさん)の世界をお送り致しますので、良かったらお付き合いくださいね。
沢村貞子・京都に行く
京都の妙心寺にある兄の家で静養する。優しい兄はただそっといたわってくれた。時折ひとりで冬の嵐山にゆき、肌をさす風のなかで、一日じゅう水の流れをみていたこともあったと。私の東北の雪国育ちの友人が、京都に住んだ時に、冬の京都の寒さはなかなかだったと聞いたことがあります。水の流れは浄化・貞子さんは浄化したい気持ちになって足を運んだのでしょうね。そこで、少女の頃からの自分の変遷についてゆっくり考えたようです。教師になる夢から、新劇女優、政治運動まで。ここで印象的な表現として、『転びバテレン』(=転びキリシタン)というものが出たことです。自分を共産主義をひとつの宗教のように例え、殉教者のような気持ちだったかもしれない。と、自分を重ねてみたのですね。
映画女優になる (決心)
年があけて、兄に長男が生まれ、名前は晃夫(あきお)。のちの俳優・長門裕之さんです。貞子さんは、元々子供が好きだったので、毎日進んで沐浴の手伝いをしたそう。むずむずと動く赤ん坊の手足が私に〈もっと生きてみろ、もっと生きてみろ〉とすすめてくれるような気がした、と。冬の嵐山の水の中で、消えてなくなりたいと思った貞子さんに〈なんとかして生きてゆきたい、やっぱり死にたくない〉と思わせたのは、赤ちゃんの長門裕之さんの存在で、ここまでで、私はあの長門裕之さんが、沢村貞子さんに!と興奮するのです。急に、兄が毎日すすめていた映画女優になる決心をしたそうです。『生きてゆくなら働かなくてはならない』貞子さんが動き出します。
映画女優になる(日活撮影所へ)
喜んだ兄・沢村国太郎は、貞子をその頃の日活撮影所長に頼んでくれた。『御室(おむろ)の桜のつぼみが固いころ、兄に連れられて日活の所長室に行った』と書いてありましたが、御室とは、京都市右京区の地名(仁和寺周辺)・仁和寺別称・貴人の住まいを表すそうで、どれにあたりかはわかりませんが、風情的にも土地柄的にもなんとなく理解しました。所長は不在で、所長の席にでんと座っていたのは、当時の日活の大スター鈴木伝明さんと兄に紹介されたのだった。伝明さんは、「へえ、国さんの赤い妹ってこれか。なんだ普通の女じゃないか」といわれる。貞子は兄に促され、丁寧にあいさつする。〈これからこの人たちの世界に入れてもらうのだから〉と。この伝明さん、所長の机に足をのっけて貞子さんをお出迎えしたようで、その時代の大スターはそれをやっても許されたんだろうな~と。
映画女優になる(カメラ・テスト)
月給百円くらい貰えそうな話が六十円に決まったのは、初めてのカメラ・テストに失敗したせいだと思う。時代劇の武家娘で、可憐な乙女という指定に程遠かった。兄は貞子に必死におしろいを塗り上げ、高島田のびん、振袖の着付けまで気を配ってくれたが、貞子自身、鏡を見て“まるでふてくされのおかめが借り着をしてきたようだ”と表現していて、当時の貞子さんは25歳でしたが、色んな経験を積んだ大人の女性が、10代の乙女の衣装やメイクやしぐさになりきるのも、まだ少ない女優経験の上で、難しかったのだと感じてます。そのカメラ・テストに合格したら、有名な先生の大作で、新スターになれたのに。と兄はがっかりしたそうです。
時代劇よりも
入社が正式に決まった時に「時代劇に」という兄の勧めを断って現代劇部に籍をおいてもらったのは、〈この・人のいい兄に、これ以上気を使わせたくなかった〉と。初めて与えられた役は、『野の光』という無声映画のあばずれ酌婦、続いて二作目は『嫁ぐ日』の女学生役。撮影二日目に監督が考え込んでしまい、撮影が中止になる。貞子は自分のせいだと責任を感じ、監督の部屋に行き謝り、降りると言うも、監督はびっくりして中止の原因は貞子だけではないという。そして映画界の複雑な事情について話してくれた。一度やりかけたら、そう簡単にやめられないものらしい。翌日から貞子は一生懸命やる。三作目は『潮(うしお)』貞子は両家のお嬢さん役。主演は鈴木伝明さん、山田五十鈴さん。この映画は今までの無声映画と違い、はじまったばかりの発声映画(トーキー)なので、みんな張り切っていた。貞子はその後、トーキー映画にまわされた。東京生まれでなまりがないためである。新しく東京に撮影所が出来たので、『潮』の完成と同時に貞子は兄の家から再び浅草の両親のもとへ帰った。「大丈夫だろうね、東京へ帰ってもちゃんと映画女優を続けるだろうね。昔の友達と付き合わないでくれよ」兄から念を押される。貞子さんはもう凝りていたので、しっかり劇団や運動と決別できています。昔の仲間の新しい劇団旗揚げを聞いても、行く気も起きなかったそうで、向こうも訪ねて来なかったそう。お互いに別々の道にすすんだわけで、過去の出来事に変わっていたと感じますね。
東京に帰る
東京に帰るとすぐ「潮」上映のご挨拶のため、甲府へゆくように日活本社から命令された。もう一人の主演の山田五十鈴さんが仕事のため代理として。貞子はあわてて、デパートで訪問着と草履を一つずつ買った。甲府の映画館の舞台へは一日3回計15回立つので、ご挨拶に出る役者は、お客さんからお金を取って見せるの、で毎回衣装を変える必要がある。それを新人女優の貞子は知らなかった。伝明さんに叱られ、衣装をお借りすることになった。「だから赤い女優と一緒はごめんだっていったんだ」とため息をつかれた。まだこの時貞子さんは”アカ“扱いです。人に見られることは衣装も大事というのも、この時に学んだのですね。役者の洗礼を受けてますね。
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